アドベンチャークラブ ケイズの活動拠点(ベース)は、和歌山県の飛び地「北山村」にあります。
少し足を伸ばすと、世界遺産にも登録されているすてきな観光スポットがたくさん。
ここでしか見られない景色、ここでしか逢えない人や食べ物、
せっかくだから、ラフティングだけじゃなくて、いろいろ冒険してみては!?
源流域は、日本一多雨地域の「大台ヶ原」で年間降雨量は東京・大阪などの約3倍にもなります。
多雨と本州最南端の温暖な気候が豊かな森林を育ててくれます。北山村ではそんな恵まれた大自然を活かし森林で栄えていました。
険しい山々から伐採した木々を運ぶために筏を組んで新宮まで流していく「筏流し」には600年もの歴史があります。北山川は淵と瀬の連続した急流と荒瀬が多く、そこを見事に下っていく北山村筏師の勇ましさは圧巻でした。
しかし、昭和40年代にはいり、北山川にダムが建設されたのを機に筏師もすっかり姿を消した。ダムの建設とともに道路も整備され、木材の運搬も水路から陸路に切り替わったためです。
昭和54年8月、この筏流しが観光筏下りとして復活。
杉の丸太8本で組まれた筏を1床と呼び、それが7床繋がれ、全長約30mの長い1つの筏となって、激流の中、水飛沫を浴びながら下っていく。急流ではスリルと筏師の腕を体感し、緩やかな流れではのんびり美しい景観を楽しめる動と静のコントラストが人気を呼び、現在では村になくてはならない夏の風物詩となっている。
筏下りは筏師のとっさの判断力と熟練した技術が必要不可欠。櫂と梶を交互に繰り出す勇壮さはまさに筏師の技。
ぜひ体感してみだください。
多雨と本州最南端の温暖な気候が豊かな森林を育ててくれます。北山村ではそんな恵まれた大自然を活かし森林で栄えていました。
険しい山々から伐採した木々を運ぶために筏を組んで新宮まで流していく「筏流し」には600年もの歴史があります。北山川は淵と瀬の連続した急流と荒瀬が多く、そこを見事に下っていく北山村筏師の勇ましさは圧巻でした。
しかし、昭和40年代にはいり、北山川にダムが建設されたのを機に筏師もすっかり姿を消した。ダムの建設とともに道路も整備され、木材の運搬も水路から陸路に切り替わったためです。
昭和54年8月、この筏流しが観光筏下りとして復活。
杉の丸太8本で組まれた筏を1床と呼び、それが7床繋がれ、全長約30mの長い1つの筏となって、激流の中、水飛沫を浴びながら下っていく。急流ではスリルと筏師の腕を体感し、緩やかな流れではのんびり美しい景観を楽しめる動と静のコントラストが人気を呼び、現在では村になくてはならない夏の風物詩となっている。
筏下りは筏師のとっさの判断力と熟練した技術が必要不可欠。櫂と梶を交互に繰り出す勇壮さはまさに筏師の技。
ぜひ体感してみだください。
ダム湖を見下ろす絶好のロケーションの中にある「おくとろ温泉きたやま」。開放感のある露天風呂が特徴です。また、隣接するコテージからは、見渡す限りの山々のパノラマや、エメラルドグリーンに輝くダム湖が広がります。深呼吸すると身も心も清々しさに包まれます。
温泉の効能は神経痛や関節痛、冷え性などです。
北山村にしかない もうひとつのものといえば、「じゃばら」。ユズやスダチに似た柑橘類で、「幻の果実」とも呼ばれています。村では昔から正月料理に使われており、じゃばらの名前の由来は「邪気を祓う」ことに由来していると言われています。
温泉の効能は神経痛や関節痛、冷え性などです。
北山村にしかない もうひとつのものといえば、「じゃばら」。ユズやスダチに似た柑橘類で、「幻の果実」とも呼ばれています。村では昔から正月料理に使われており、じゃばらの名前の由来は「邪気を祓う」ことに由来していると言われています。
北山村にはいくつかバス釣りポイントがあります。おくとろ公園の傍にある小森ダムは、七色ダムほど有名ではありませんが、ポイントが絞りやすく気軽に楽しめます。
七色ダムは北山村にある山々に囲まれた非常に長いダムです。幾つもの山の間を縫うように北から南、また東から西へと伸びています。
七色ダムはバス釣りのメッカとして関西は言うに及ばず、全国的に有名です。釣り好きにとって、好ポイントだらけのフィールドは、どこから釣りを始めていいか迷うぐらいです。
周りは山に囲まれ商店や民家がほとんど無く、静かで緑がよく目に映るフィールドです。のんびりと釣りをしながらぼんやりと景色を楽しむのもいいでしょう。
七色ダムは北山村にある山々に囲まれた非常に長いダムです。幾つもの山の間を縫うように北から南、また東から西へと伸びています。
七色ダムはバス釣りのメッカとして関西は言うに及ばず、全国的に有名です。釣り好きにとって、好ポイントだらけのフィールドは、どこから釣りを始めていいか迷うぐらいです。
周りは山に囲まれ商店や民家がほとんど無く、静かで緑がよく目に映るフィールドです。のんびりと釣りをしながらぼんやりと景色を楽しむのもいいでしょう。
熊野三山とは、全国の「熊野神社」の総本宮にあたります。
三山の中でもとりわけ聖地熊野らしい雰囲気を漂わせるのが、熊野本宮大社です。
三山の中でもとりわけ聖地熊野らしい雰囲気を漂わせるのが、熊野本宮大社です。
世界遺産にも登録されている「熊野参詣道」のなかで、多くの人々がたどった「中辺路(なかへち)」を歩くと、最初にたどり着くのが熊野本宮大社です。かつては、「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にありましたが、明治22年の大水害で多くが流出し、明治24年(1891)に現在地に移築・遷座されました。現在の本殿へと続く石段の両側には幟がなびき、生い茂る杉木立が荘厳な印象を与えます。
総門をくぐると檜皮葺の立派な社殿が姿をあらわします。
向かって左手の社殿が夫須美大神(ふすみのおおかみ)・速玉大神(はやたまのおおかみ)の両神。中央は主神の家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)。そして右手は天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られており、交通安全、大漁満足、家庭円満、夫婦和合、長寿の神として人々を迎え入れてきました。また、サッカー日本代表のロゴマークとなっている三本足のヤタガラスは、この神社の主神のお仕えです。
熊野本宮大社、熊野速玉大社と並んで、熊野三山のひとつ熊野那智大社は、日本一の落差を誇る大きな滝がこの神社の起源といわれています。
本宮大社から、那智大社へ向かう参詣道は「大雲取越え」「小雲取越え」と言われ、雲を掴むほど高い峠を二つ越える難所として知られています。深い森ゆえに、妖怪や死者に出会ったなどの伝説が数々伝えられています。
那智大社に至るまでにぜひ見たいのが、石畳が美しい大門坂です。両側に立派な夫婦杉があり、近くの茶屋では平安衣装も貸し出しています。太古のロマンに思いをはせて、那智大社へ向かう石畳を踏みしめて歩くのはいかがでしょう。
また、毎年7月には国指定重要無形民俗文化財にも登録されている「扇祭り」別名、「那智の火祭り」が行われます。樹齢数百年の杉木立の中で燈される松明は迫力があります。
本宮大社から、那智大社へ向かう参詣道は「大雲取越え」「小雲取越え」と言われ、雲を掴むほど高い峠を二つ越える難所として知られています。深い森ゆえに、妖怪や死者に出会ったなどの伝説が数々伝えられています。
那智大社に至るまでにぜひ見たいのが、石畳が美しい大門坂です。両側に立派な夫婦杉があり、近くの茶屋では平安衣装も貸し出しています。太古のロマンに思いをはせて、那智大社へ向かう石畳を踏みしめて歩くのはいかがでしょう。
また、毎年7月には国指定重要無形民俗文化財にも登録されている「扇祭り」別名、「那智の火祭り」が行われます。樹齢数百年の杉木立の中で燈される松明は迫力があります。
熊野川を下っていくと本宮大社と並んで熊野三山のひとつ、熊野速玉大社があります。朱色に輝く社殿が明るい太陽の雰囲気を漂わせます。
熊野川のを背にした千穂ケ峰の山すそに位置し、鮮やかな朱塗りの大鳥居をくぐると、心が静まる空間がひろがっています。熊野速玉大神を主神に、家津御子大神、夫須美大神の三神をまつっています。社伝によると、以前は神倉山にまつられていた神々を景行天皇(71?130年)の時代にいまの場所にうつし、それが「新宮」の名のおこりになったという。
境内にそびえる樹齢千年のナギの大樹は熊野権現の象徴として信奉篤く、古来から道中安全を祈り、この葉を懐中に納めてお参りすることが習わしとされています。熊野牛王とナギの葉をいただくことが、難行熊野詣を無事果たす大きな支えとなったそうです。
熊野川のを背にした千穂ケ峰の山すそに位置し、鮮やかな朱塗りの大鳥居をくぐると、心が静まる空間がひろがっています。熊野速玉大神を主神に、家津御子大神、夫須美大神の三神をまつっています。社伝によると、以前は神倉山にまつられていた神々を景行天皇(71?130年)の時代にいまの場所にうつし、それが「新宮」の名のおこりになったという。
境内にそびえる樹齢千年のナギの大樹は熊野権現の象徴として信奉篤く、古来から道中安全を祈り、この葉を懐中に納めてお参りすることが習わしとされています。熊野牛王とナギの葉をいただくことが、難行熊野詣を無事果たす大きな支えとなったそうです。
ケイズの事務所から三重県側に車で約30分。やまあいの隠れ里に突如出現する千枚以上にもなる棚田は思わず足を止めて撮影したくなるほどの美しさです。
早朝には雲海が広がり幻想的な風景を見せてくれたり、春は水を引いたばかりの田んぼが夕焼けを映し出したり、秋は稲刈りの風景画見られたりと、季節や時間ごとによって様々な顔を見せてくれるので、カメラマンの絶景スポットとなっています。日本一の棚田景観とも言われています。
年間を通し稲作体験など数多くのイベントも開催され、地元の方による保全活動が行われています。
早朝には雲海が広がり幻想的な風景を見せてくれたり、春は水を引いたばかりの田んぼが夕焼けを映し出したり、秋は稲刈りの風景画見られたりと、季節や時間ごとによって様々な顔を見せてくれるので、カメラマンの絶景スポットとなっています。日本一の棚田景観とも言われています。
年間を通し稲作体験など数多くのイベントも開催され、地元の方による保全活動が行われています。
熊野市にある花の窟は、イザナミノミコトが火神カグツチノミコトを産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵です。平成16年7月に花の窟を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されました。
花窟神社(花の窟神社)は日本書紀にも記されている日本最古の神社といわれており、古来からの聖地として今に続く信仰はあつく、全国から多くの参拝者が訪れます。花の窟では年2回、例大祭を行います。神々に舞を奉納し、日本一長いともいわれております約170メートルの大綱を岩窟上45メートル程の高さの御神体から境内南隅の松の御神木にわたします。この「御綱掛け神事」は、太古の昔から行われており「三重県無形文化指定」されています。
花窟神社(花の窟神社)は日本書紀にも記されている日本最古の神社といわれており、古来からの聖地として今に続く信仰はあつく、全国から多くの参拝者が訪れます。花の窟では年2回、例大祭を行います。神々に舞を奉納し、日本一長いともいわれております約170メートルの大綱を岩窟上45メートル程の高さの御神体から境内南隅の松の御神木にわたします。この「御綱掛け神事」は、太古の昔から行われており「三重県無形文化指定」されています。